2005年04月27日

ばあちゃんのバースディ

もうすでに多く語られているだろう、福知山線脱線事故。おびただしい数の死者を出す現状である。遺族の方々の様子が報道されるが、見るに耐えることができず、チャンネルをかえるもしばしば。

●事故の惨状のあまり、マスコミが「犯人探し」をしているように感じられる。たしかに、この事故の原因はどこかにあるのは間違いない。天災ではなく、人為的要因による災害ではあるだろう。しかし、予断は人を誤った方向へと導く。1日ごとに、当時の状況が明らかになってゆく。「車の衝突」から「スピード超過」、「置石」に「管理体制」、「車両の点検不備」。一般の世論が求めているのは、安全な列車運行体制の確立であり、原因を作った者への処罰ではない。性急に判断するのではなく、時間がかかってもよいから正確な結論を期待したい。

●科学と歴史は、経験に基づくものであるという点では一致する。「モノ」を対象とする科学においては、経験は重要な要素だ。やみくもに実験するだけでは、真理には到達できない。科学者の持つ経験の中には、真理につながるという霊感を得られる経験もある。その経験を根拠に推論を導く。その一見あやふやな推論を帰納的に証明し、普遍妥当と位置づけるのが科学だ。一方、歴史はおびただしい数の経験の集積である。歴史は「ヒト」と、その行動を対象とする。ヒトは必ずしも普遍妥当に行動しない。だからといって歴史は経験の蓄積にとどまるわけではなく、そこから傾向を導くことを目指す。その傾向により、人は今後に経験するであろうことを予測することができるのだ。しかし、傾向は予測の材料となるだけであって、100%は保証し得ない。だからこそ、歴史はより多くの傾向をつかまんがために、いっそう経験の収集を求めるのである。

●事故は歴史となり、科学的な解明を待つことになる。この深い悲しみをムダにしてはいけない。今後の安全と信頼のための経験としなくてはならない。報道により、悲しみは十分に伝わっている。遺族の方々の気持ちはいかほどかと皆がおもんぱかっている(そう信じる)。この悲しみを今後繰り返さないためにも、正確かつ緻密な結論を期待する。

●現代日本において、このような死者がでる事態は稀有である。それゆえ、人々が注目し、悲しむ。しかし、以前の日本や、現在の他の国ではこのような事態は日常であることもある。それは戦争。この3日間、朝のワイドショーを祖母と一緒に見ている。祖母は「もつけねぇ(福井弁、かわいそうの意)」と、ときおりつぶやく。そんな祖母は太平洋戦争と福井震災を生き抜いてきた証人だ。空襲後や震災後の街では、そこかしこにヒトの形をなさない遺体がころがっていたと聞く。そんな日常をくぐってきた祖母は、今日74歳の誕生日を迎えた。


posted by ゲルト at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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