2005年06月20日

ノーモア、タンブレロ。ノーモア、アイルトン。

ホントに後味が悪すぎる。F1・アメリカグランプリ、インディアナポリス。

●もう報道で周知のことだと思うが、出走したのは6台だけであった。スタートしなかった14台はミシュランタイヤユーザー。コースとの不適合(10周程度でタイヤがバーストする)が発覚し、グランプリを成功させるため、主催者であるFIAへ「妥協案」を提示。ブリヂストンはこの「妥協案」を受け入れるも、FIAが拒否。結果、「安全が保障されない」としてミシュランがレースを棄権(ボイコット)。出走6台でグランプリは成立してしまった。もちろん、このグランプリのリザルトはチャンピオンシップに加算される。

●元来、F1は「密室」の要素が大きいスポーツであった。1980年代後半から日本でもメジャーになったF1。現在はバーニー・エクレストンがF1グランプリを「実効支配」している。F1というマイナーなモータースポーツを「世界のメジャー」に昇格させたバーニーは、FIAですらその支配下に置く。たとえば、トップを走っていた新鋭ドライバーが終盤リタイアし、チャンピオンシップリーダーが優勝した場合、「バーニーボタンが作動した」と噂される。マシンには秘密の装置があり、彼の手によりレースをコントロールできるというトンデモ説。

●セナの台頭以降のF1ファンであるワタシであるが、最近の「主催者」とファンの乖離には、へきえきしている。レギュレーションの変更というのは、以前からのF1お家騒動で分かっている。そのレギュレーションの変更の大義名分は「安全の確保」と「レースの面白みを増す」ということである。「同一エンジンの2グランプリ使用」と「グランプリ通してのタイヤ交換不可」は去年までのF1勢力図を一変させたのは確かである。王者・Mシューマッハは下位に低迷している。たしかに、今年は面白みは増した。しかし、F1は「進化」してきているのか?

●ここでいう「進化」はスピードアップだけではない。スポーツとしてのスペクタクルとしてのドライバー同士の闘い。テクノロジーのメッセとしての各メーカーのパフォーマンス。この2つがF1が人々をひきつける要素である。しかし、最近はこの2つが両立して進化できていない。究極的には、同じマシンを操るドライバー同士のバトルこそ、ワタシの望むF1像だ。ワタシは単なる回顧主義者なのかもしれない。せめて、レース中のタイヤ交換は認めてほしい。予選は1ラップで競うのは面白いと思う。レース中の給油については考え直す必要がある。トラクションコントロールは最小限にしてほしい。

●このインディアナポリスでFIAは譲ることをせず、強硬に公正さを求め、結果としてグランプリは失敗した。たしかにオーバルに耐えるタイヤを作れなかったミシュランに非はある。しかし、ブリヂストンはOKしたのに。ペナルティを課すことによって調整もとれたはずなのに。大自由市場・アメリカであるのを承知の上で、ミシュランが自社の製品の不備を明らかにしたというのに。しかし、FIAはレースを強行した。

●このグランプリはまちがいなく後世に伝えられる。史上最低のグランプリとして。しかし、リザルトは別の意味で絶対的な記録だ。ジョーダンのモンテイロは、だれがなんと言おうと立派。ポディウムでのおおはしゃぎも寛容に受けとめろ。

●非常に後味が悪すぎるグランプリだ。しかし、ミシュランがレースを強行した場合、死人が出た可能性が非常に高い。イモラでの過ちは2度とくりかえしてはいけない。最低の運営だが、死人が出るよりは良かった。死人が出るのはいけない・・・。いけないよ。 死人が出たら、もっと後味悪くなるんだから。 あのサンマリノグランプリの惨劇だけは避けなければいけない、絶対に。




●サッカー、コンフェデ杯。ギリシャ戦はニッポンは完勝。もう1、2点は欲しかったが、まあ良い。・・・・・・ていうか、ブラジル!!メヒコに負けてんじゃねーよ!つーことは、次の試合は、気合満タンの「マヂセレソン」vsジーコおぢさんの「セレソンジャポネーゼ」じゃねえか。はい、おしまい!アウフヴィーダーゼーヘン。


posted by ゲルト at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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