2005年09月27日

Berliner Luft

先の日曜日にあったベルリンマラソン。結果は御存知のとおり、女子は野口みずきが日本最高記録で優勝した。日本での注目を集めるスポーツイベントでもあるが、ドイツ好きの面々にとってはじっくりとベルリンの「生の」街並みを鑑賞できる稀有なテレビ番組でもある。といっても、ワタシはじっくり鑑賞することはできず、キッチンとリビングを往復しながら、つまりはメシを作りながら観戦していた。

●昨年は見逃していたので、久しぶりのベルリンマラソンである。ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)やドム(ベルリン大聖堂)、カイザーヴィルヘルムキルヒェにゴールはブランデンブルク門と、ベルリンの名所を存分に楽しめるコースだ。個人的に好きなのは終盤に左手にフィルハーモニーに臨む場面。手前には空に映える黄金のカラヤンサーカス、奥にはポツダムプラッツの高層ビル群という画がたまらない。今回のベルリンマラソンではこのアングルでは放送されなかったので非常に残念。

●あぁ、こんなの見せられると猛烈にベルリンに行きたくなる。うまくいけば来年ドイツに行けるのだが、ベルリンは残念ながら訪れることができない。実を言うと、ワタシはどちらかというとベルリンよりはドレスデンやミュンヘンの方が好きなのだ。ベルリンはあまりに都会すぎる、東京ともさほど変わらないのではないだろうか、とも思ったからだ。とはいえ、やはり、ベルリンにはベルリンの良さがある。それは「新しさ」。いにしえより続く神聖ローマ帝国ではなく、新興国家であるプロイセンの都として「新しく作られた伝統」としての側面。このあたりは家康が作り上げたEdo=Tokyoと通ずるところもあるのかもしれない。もう一つは新生ドイツ共和国の首都としての「新設首都」としての新しさ。西と東の2つの都市が融合し、さらに首都機能を移すという大改組。ワタシが訪れたベルリンはいつも工事中であった。

●こんなベルリンの最新事情を知りたい方はマサトさんのブログベルリン中央駅を造ひとも読んでほしい。現在建設中のベルリンのハウプトバーンホフ(中央駅)の様子をはじめ、現代ベルリン事情をヴィヴィットな写真と共に伝えてくれている。もちろん今回のベルリンマラソンの写真もいっぱい。野口みずきの疾走もとらえている。

●ベルリンにはゲルマンの伝統を礎とした新しい現代国家の気質がただよう。ベルリンには新しさの風が常に吹いている。


posted by ゲルト at 21:26| Comment(2) | TrackBack(1) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月27日

色が色々

ランス・アームストロングX7達成、そして引退。かっこよすぎる。

●アームストロングはガンを克服したことでも有名。彼はガン撲滅のための基金も設立した。彼の基金はLIVESTORONGという文字の入った黄色のリストバンドを売り出し、その売上げをガン撲滅のために使っている。昨年、アテネオリンピックの際に多くの選手がイエローバンドを見につけていたので、ご存知の方も多いだろう。せっかく進路も決まったので、リストバンドを買うことでワタシも社会貢献でもしようと思いたった。

●現在日本でもホワイトバンドのキャンペーンがされている。「貧困はもはや寄付では救えない、社会を動かし政策的に貧困をなくそう」という意図らしい。これはこれで立派なことだと思う。しかし、ホワイトバンドの売上げは貧しい国に送られるのではなく、キャンペーンの活動資金に使われるとのこと。ワタシ的にはキャンペーンに使われるというのがなにか腑に落ちない。政府や国連にうったえるのは良い方法の一つであるが、政府や国連に出来ない活動をするのがNGOではなかったのか?もはや一種の政治運動のようにも思えてくる。そんなわけで、ワタシはホワイトバンドには賛同しかねる。やはりランスの基金のように、お金が困っている人々のためや研究に使われるものを選びたい。

●ということで、ブルーバンドとパープルバンドを取り寄せてみた。ブルーバンドはスマトラ沖津波からの復興資金として使われる。販売しているのはアメリカの学生が作った団体で、売上げは津波復興に携わっている別の団体におくられる。日本に住む身として、津波はひとごとではない。パープルバンドはアメリカの肺病の協会がキャンペーンしているものだ。バンドの売上げは喘息・肺病の研究のために使われる。ワタシは小児喘息だったので、喘息のつらさは身をもって実感している。少ない資金だが使ってもらいたくバンドを購入した。

●こういうキャンペーンははっきりいって「はやりもの」だと思う。しばらくすると、みんなバンドを腕につけなくなるだろう。しかし、はやりに乗ってお金を集めるのもいいんじゃないかな。それで、困っている人のためになるなら。いずれはバンドはどこかにしまい忘れられるだろう。でも、しまっておいたバンドがふとした拍子に出てきて、もう一度津波や喘息について考えるきっかけになるかもしれない。納得できるキャンペーンであったら、バンドを買うのもいいだろう。友人が言っていたが、やらない善より、やる偽善。情けは人のためではないかもしれないが、かけないよりはいいんじゃない。

●パープルバンドなのだが、10個セットでの販売であったので手元にかなりあまってしまった。残しておいても仕方ないので、もらってくれる人がいるなら配ろうかと思っている。このブログを読んでいる人でほしい方がいらっしゃるなら、こちらまでメールをください。もちろんお金はいただきません。なくなり次第終了ということで。ほしい人がいればだけど。
<追記:8月3日>
パープルバンドの配布は一定数に達しましたので、終了いたしました。




●そうそう、アームストロングの基金はこちら。それにしても、優勝&引退はかっこええな。

posted by ゲルト at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月25日

御報告は突然に

さて、この「VIVAドイッチュラント」は公務員試験ブログとして、今年の1月から活動してきました(←大嘘)。実はワタクシ、このたび就職が決まりました。

●名古屋市に所在する、ある独立行政法人の職員として採用されることになりました。独立行政法人とは、いわば「公社」のようなもので、国からの交付金をもらいながらも自主的な運営をしてゆける組織です。行政は「予算(=交付金)を使い切なければいけない」という金銭感覚がありますが、独立行政法人は「交付金(=予算)を効率的に使おう、余ったら貯めよう」という金銭感覚で経営されます。国が直接的に実施しなければいけない事業ではないが、完全に民間に任せるわけにはいかない事業を受け持つのが独立行政法人です。職員は公務員ではないのですが、パブリックな業務に携わることになります。

●就職する機関は、志望の度合が高かった機関です。幸運にも採用してもらえることになり、非常に充実した気持ちでおります。それとともに、公務員試験の勉強中に感じていたプレッシャーからも解放され、晴れ晴れとした気分でもあります。

●ちょっと驚いたのは、9月から勤務してほしいといわれたこと。私は既卒で現在無職状態ですので、早くから働けるのは願ってもないことでした。ただ、そんなに早く・・・と驚いたしだいです。というわけで、8月は新居探しや引越しに迫られるためこのブログの更新が滞ることが予想されます。御容赦くださいませ。



●いやぁ〜、よかったよかった。これからは職業欄に「無職」って書かずにすむよ。無職って書くのってけっこうきつかったな〜。9月からは「公務員」って書いていいのかな?「団体職員」か?ま、どっちでもいいや、無職よりは(笑)。

●これで、来年の渡独が現実味をおびてきたぜ。このブログの目標は「公務員試験に合格して、ドイツにW杯を見に行く」だからね。9月からの勤務なら、6月に有給を2日ほどとっても文句言われないだろう。いや、文句言われても行く、絶対に。チケットを入手してしまえば、職場に有無を言わさないモチベーションをもてるだろう。とりあえず明日はHISに行って情報集めてこようっと。

●そんなわけで、福井発のブログでも、公務員試験のブログでもなくなります。しかし、ドイツにいくまでこのブログはまだまだ続きます。来年ドイツに行ったとしても、3年間隔ぐらいでドイツ詣でしたいのでまだまだ続きます。ひとつ、拙ブログをよろしくお願いいたしまする。
posted by ゲルト at 22:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月04日

経験が「緊張感」を作る

すんません。官庁訪問や面接の毎日で、ネタを書き込むことができない。「VIVAドイチュラント」を楽しみにしている人、すいません(←そんなやつぁいねえ)。

●今日は今季最初の「面接」。「官庁訪問形式(現場の職員さんとの面談を何回も繰り返してゆく)」はあったのだが、「面接」は初めて。久しぶりの緊張感に包まれた。

緊張はしてはいけない、緊張感はなければいけない。ステージにのぼり、演奏する立場の者にとっては実感のある言葉ではなかろうか。誰の言葉かもわからないが、仲間内で本番の1日前に語られる言葉である。今日は緊張感を味わうのがひさしぶりで、漫然と何もできないまま、面接が終わってしまった。面接中には、びりびりと緊張感を感じたが、アタマは落ち着いているのに、クチが早口になってしまう。あぁ、いけない、と思いながらも、ゆっくりとしゃべることができない。緊張していた?冷静に状況判断はできていたと思うが、受け答えがいまいち(これは単なる準備不足)。まぁ、面接−本番−の緊張感をつかんだので、明日はもっとうまくできそうだ。

●舞台にあがることがある人は分かってもらえるだろうが、本番を楽しめるようにならないと、よいパフォーマンスは生まれない。それは、いつもより緊張するのでもなく、いつもより弛緩するのでもない、絶妙のバランスの状態である。いつもと違う空気の中で、いたって冷静に、ときにはいつも以上に、プレイすることである。だからといって、本番はかならずしも練習以上にできるというわけではない。一部を除いて(つまり、プロを除いて)本番では、練習の8割出せればよいほうでは無いか。しかし、「緊張感」や「本番を楽しむ精神状態」がなければ、その8割も出てこないのだ。「緊張感」を使いこなせるようになると本番も楽しくできるようになる。そして、8割しか出せない本番のために、さらなる練習を日々行えるようになる。

●ま〜、本番でいつも以上のパフォーマンスができる例はあったけど。ワタシが経験した中では、ベルリンのフィルハーモニーやサントリーホールでは、なんか良い演奏ができた。そこにいたるまで本番を繰り返したことが、成功の原因ではあるとは思う。しかし、あれらの最高峰のホールが持つ独特の雰囲気があのときの演奏に影響を及ぼしたのはまちがいないと思う。「緊張」や「緊張感」とかとは違う次元の「何か」が、たしかにあそこにはあった。フィルハーモニーやサントリーには、魔物は住んでいない。我々の背中をちょっと押してくれる「何か」がいるホールなのだ。ひょっとして、あれがミューズの神様?
posted by ゲルト at 23:35| Comment(4) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月20日

ノーモア、タンブレロ。ノーモア、アイルトン。

ホントに後味が悪すぎる。F1・アメリカグランプリ、インディアナポリス。

●もう報道で周知のことだと思うが、出走したのは6台だけであった。スタートしなかった14台はミシュランタイヤユーザー。コースとの不適合(10周程度でタイヤがバーストする)が発覚し、グランプリを成功させるため、主催者であるFIAへ「妥協案」を提示。ブリヂストンはこの「妥協案」を受け入れるも、FIAが拒否。結果、「安全が保障されない」としてミシュランがレースを棄権(ボイコット)。出走6台でグランプリは成立してしまった。もちろん、このグランプリのリザルトはチャンピオンシップに加算される。

●元来、F1は「密室」の要素が大きいスポーツであった。1980年代後半から日本でもメジャーになったF1。現在はバーニー・エクレストンがF1グランプリを「実効支配」している。F1というマイナーなモータースポーツを「世界のメジャー」に昇格させたバーニーは、FIAですらその支配下に置く。たとえば、トップを走っていた新鋭ドライバーが終盤リタイアし、チャンピオンシップリーダーが優勝した場合、「バーニーボタンが作動した」と噂される。マシンには秘密の装置があり、彼の手によりレースをコントロールできるというトンデモ説。

●セナの台頭以降のF1ファンであるワタシであるが、最近の「主催者」とファンの乖離には、へきえきしている。レギュレーションの変更というのは、以前からのF1お家騒動で分かっている。そのレギュレーションの変更の大義名分は「安全の確保」と「レースの面白みを増す」ということである。「同一エンジンの2グランプリ使用」と「グランプリ通してのタイヤ交換不可」は去年までのF1勢力図を一変させたのは確かである。王者・Mシューマッハは下位に低迷している。たしかに、今年は面白みは増した。しかし、F1は「進化」してきているのか?

●ここでいう「進化」はスピードアップだけではない。スポーツとしてのスペクタクルとしてのドライバー同士の闘い。テクノロジーのメッセとしての各メーカーのパフォーマンス。この2つがF1が人々をひきつける要素である。しかし、最近はこの2つが両立して進化できていない。究極的には、同じマシンを操るドライバー同士のバトルこそ、ワタシの望むF1像だ。ワタシは単なる回顧主義者なのかもしれない。せめて、レース中のタイヤ交換は認めてほしい。予選は1ラップで競うのは面白いと思う。レース中の給油については考え直す必要がある。トラクションコントロールは最小限にしてほしい。

●このインディアナポリスでFIAは譲ることをせず、強硬に公正さを求め、結果としてグランプリは失敗した。たしかにオーバルに耐えるタイヤを作れなかったミシュランに非はある。しかし、ブリヂストンはOKしたのに。ペナルティを課すことによって調整もとれたはずなのに。大自由市場・アメリカであるのを承知の上で、ミシュランが自社の製品の不備を明らかにしたというのに。しかし、FIAはレースを強行した。

●このグランプリはまちがいなく後世に伝えられる。史上最低のグランプリとして。しかし、リザルトは別の意味で絶対的な記録だ。ジョーダンのモンテイロは、だれがなんと言おうと立派。ポディウムでのおおはしゃぎも寛容に受けとめろ。

●非常に後味が悪すぎるグランプリだ。しかし、ミシュランがレースを強行した場合、死人が出た可能性が非常に高い。イモラでの過ちは2度とくりかえしてはいけない。最低の運営だが、死人が出るよりは良かった。死人が出るのはいけない・・・。いけないよ。 死人が出たら、もっと後味悪くなるんだから。 あのサンマリノグランプリの惨劇だけは避けなければいけない、絶対に。




●サッカー、コンフェデ杯。ギリシャ戦はニッポンは完勝。もう1、2点は欲しかったが、まあ良い。・・・・・・ていうか、ブラジル!!メヒコに負けてんじゃねーよ!つーことは、次の試合は、気合満タンの「マヂセレソン」vsジーコおぢさんの「セレソンジャポネーゼ」じゃねえか。はい、おしまい!アウフヴィーダーゼーヘン。
posted by ゲルト at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月22日

弾幕うすいぞ!なにやってんの!

世の中にいろいろなサイトがあるけれども、ドイツには北斎漫画制作キットなんてものがある。ドイツ人の手によるドイツドメインのサイトだが、日本語対応。ていうか日本語専用。葛飾北斎が生み出したさまざまなキャラ(?)を、マウスで自在に配置して、文字までつけ足すことができる。CLASSICAさんのところで紹介されているのを目にして、さっそくチャレンジしてみた。オペラではなく、あるアニメの名画面ではあるが。


ぜひクリックして大きい絵で見てほしい

●この制作キットでは、「ギャラリーに保存」してしまうと、時間がたつとデータが消えてしまう。なので、力作ができたらさっさと自分宛に「ポストカードを送る」のが良い。

●北斎は偉大だ。絵がおもしろすぎ。かなりの確立で、おもしろおかしい作品を生み出せる。あと、ひらがなはヤバい。腹痛くなるほど笑える。
posted by ゲルト at 21:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月10日

聖地神宮に和田神光臨

もりあがっているみたいである。プロ野球の交流戦だ。たしかに目新しいカードが目白押し。誰も抵抗できなかったナベツネを辞任に追い込んだ「楽天一場」がジャイアンツ戦に登板。「はずれ」ドラフト1位の野間口とのドロドロ試合で、一場は返り討ちにあってしまった。ワタシは西武ライオンズファンであり、今日のアレックス・カブレラのサヨナラ本塁打にゴキゲンです(V)。

●この交流戦、野球ファンの心情として微妙な部分もあるという。セとパにそれぞれ贔屓のチームを持っている人などだ。トラキチであるが、パ・リーグでは日ハムファン。SHINJO率いる日ハムと阪神が対決、てな場面に苦悩したらしい。ところが、ワタシは違うところで苦悩している。ワタシは西武ファンであると同時にパ・リーグファン。交流戦においてパがセのチームをやっつけるのは、非常に心地いい。ソフトバンクやロッテがいい感じなので、心強い。しかし、パのチームが勝利するということは(現在4位の)ライオンズがいつまでたっても浮上できない。好きな西武には優勝をしてほしいが、同時にパ・リーグのチームにはがんばってほしいという心情なのだ。

●まぁ、今年のライオンズはなんとか3位に入って、プレーオフでの優勝狙いはほぼ規定路線。もうこの状況では、リーグ戦1位は無理です(泣)。なので、オリックスと日ハムを確実におさえることが肝要。今年のパ・リーグはセ・リーグと違い、5球団でリーグ戦をやっているのだから、3位以上はチャンピオンチームとしては最低条件なのである。

●このへんがサッカーと野球に対する愛情の違いなのであろう。鹿島アントラーズが至上である。鹿島とダイヒョウを天秤にかけた場合、ワタシの心は鹿島の方に傾く。はっきり言って、ダイヒョウ戦に鹿島の人員を差し出すのは迷惑なこときわまりない。スズキにゃケガを直してほしいし、小笠原と本山はどうせベンチなんだから代表に行く必要が感じられない。ニホンダイヒョウも愛してはいるが、鹿島アントラーズとの間には越えられない壁がある。歴然とした壁だ。

●ま、サッカーはおいておくとして、今度交流戦を見に行きます。15日のインボイスドームでの西武−巨人戦。西武の予想先発は河原。古巣相手の対決だ。3月のオープン戦では巨人のユニホームをまとっていた河原が、巨人打線相手に真剣勝負。たのしみだぁ〜。とはいうものの、正直いうと西武負けそうでこわい。河原だもんなぁ〜。

●この交流戦ブームに乗り、パ会長がプロ野球天皇杯構想を発表した。でも、実は「野球・天皇杯」は実在している。関東六大学野球リーグの優勝カップは「天皇杯」である。プロ野球より歴史が深いのだからトーゼンですね。
posted by ゲルト at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月27日

ばあちゃんのバースディ

もうすでに多く語られているだろう、福知山線脱線事故。おびただしい数の死者を出す現状である。遺族の方々の様子が報道されるが、見るに耐えることができず、チャンネルをかえるもしばしば。

●事故の惨状のあまり、マスコミが「犯人探し」をしているように感じられる。たしかに、この事故の原因はどこかにあるのは間違いない。天災ではなく、人為的要因による災害ではあるだろう。しかし、予断は人を誤った方向へと導く。1日ごとに、当時の状況が明らかになってゆく。「車の衝突」から「スピード超過」、「置石」に「管理体制」、「車両の点検不備」。一般の世論が求めているのは、安全な列車運行体制の確立であり、原因を作った者への処罰ではない。性急に判断するのではなく、時間がかかってもよいから正確な結論を期待したい。

●科学と歴史は、経験に基づくものであるという点では一致する。「モノ」を対象とする科学においては、経験は重要な要素だ。やみくもに実験するだけでは、真理には到達できない。科学者の持つ経験の中には、真理につながるという霊感を得られる経験もある。その経験を根拠に推論を導く。その一見あやふやな推論を帰納的に証明し、普遍妥当と位置づけるのが科学だ。一方、歴史はおびただしい数の経験の集積である。歴史は「ヒト」と、その行動を対象とする。ヒトは必ずしも普遍妥当に行動しない。だからといって歴史は経験の蓄積にとどまるわけではなく、そこから傾向を導くことを目指す。その傾向により、人は今後に経験するであろうことを予測することができるのだ。しかし、傾向は予測の材料となるだけであって、100%は保証し得ない。だからこそ、歴史はより多くの傾向をつかまんがために、いっそう経験の収集を求めるのである。

●事故は歴史となり、科学的な解明を待つことになる。この深い悲しみをムダにしてはいけない。今後の安全と信頼のための経験としなくてはならない。報道により、悲しみは十分に伝わっている。遺族の方々の気持ちはいかほどかと皆がおもんぱかっている(そう信じる)。この悲しみを今後繰り返さないためにも、正確かつ緻密な結論を期待する。

●現代日本において、このような死者がでる事態は稀有である。それゆえ、人々が注目し、悲しむ。しかし、以前の日本や、現在の他の国ではこのような事態は日常であることもある。それは戦争。この3日間、朝のワイドショーを祖母と一緒に見ている。祖母は「もつけねぇ(福井弁、かわいそうの意)」と、ときおりつぶやく。そんな祖母は太平洋戦争と福井震災を生き抜いてきた証人だ。空襲後や震災後の街では、そこかしこにヒトの形をなさない遺体がころがっていたと聞く。そんな日常をくぐってきた祖母は、今日74歳の誕生日を迎えた。
posted by ゲルト at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月13日

まったく、のび太くんたら。いつもこうなんだ。しょうがないなあ。今回だけだよ、もぅ。

ジュビロが大敗したのを見て、とても爽やかな気分である。ネガティブな喜びを楽しむ。

以前記事でも触れた大海酒造の芋焼酎「大海黒麹」を完飲。大海酒造は初心者にも飲みやすい焼酎、意欲的な焼酎を出していることで有名である。「海」や「くじらのボトル」は人気が高いらしい。イモ臭くない繊細な味だとのことだ(飲んだことはない、なぜなら高いから)。その大海酒造のレギュラーラインの銘柄が「大海黒麹」。5合で1200円弱だった。有名な銘柄ではないが、なにかを感じさせてくれるのではと期待した。

●その期待は裏切られた。良い意味でである。実に普通の焼酎なのだ。黒麹っぽくて甘さ辛さも中間。最初に味がぐっと来て、爽やかな飲後感がのこる。特に初心者向けではないような印象を受ける。大海酒造ということで香り高いものや繊細なもの(つまりちょっとナンパなもの)を予想したが、そんな予想をあざ笑うかのように、しっかりと中身のある普通の焼酎を飲ませてもらった。この普通ということは大事である。実際の焼酎というのは日常酒だ。1升瓶で買って、ずっと同じ銘柄を飲みつづけるのが本来の姿なのだ。毎日飲んで飽きがこないというのが重要な要素になる。「大海黒麹」は、そんな飽きのこなさを備えた正統派の焼酎であった。

●普通でありつづけるのは実は難しいことなのだ。いつまでも同じであることには、多くの努力が要される。しかし、その努力はなかなか見えにくいものなのだろう。「普通」だと思っているのは受け取る側だけで、送り続ける側には維持するためのエネルギーが必要なのだ。ドラえもんの声が交代することで大騒ぎになった。いつまでも変わらないと信じていたものが変わることへの興味。考えてみてほしい。ここまで不変のメンバーでドラえもん達を演じてきたということが、すばらしいことではないのか。いつまでも変わらないと信じていたのはこちら側の勝手であったのだ。ドラえもんのメンバー達は「変わる」ことがないよう努力をし、そしていつかはやってくる「代わる」日のことを真剣に考えていたのだろう。もちろん、新しい声優陣にもがんばってもらいたい。なにより、これまでの間勤めてこられた方々への感謝と賞賛を忘れてはならない。
posted by ゲルト at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月19日

right & light

●どちらかというとよりな考え方をワタシは持っている。最初に断っておく。

●この記事は萬華鏡blogさんの記事とニュース23(TBS)をもとに書いています。

●ベルリン国際映画祭において、「太陽」という作品が公開された。ロシアのソクーロフ監督のこの作品は、歴史学者でもある彼が撮った三部作の三作目である。前作の題材は、ヒトラー、レーニン。そして、今回のモチーフは昭和天皇(とマッカーサー元帥)である。昭和天皇はイッセー尾形、香淳皇后は桃井かおり。

●「太陽」は、終戦直後の日本を舞台に昭和天皇の内面に焦点を合わせた劇であるという。これまでの映画では、ここまで昭和天皇を掘り下げた作品は無かったのではないだろうか。「東京裁判」では、昭和天皇は脇役に過ぎなかった。昭和を知る我々にとっては、昭和天皇の心の中を描くといことはある意味タブーであったのかもしれない。昭和天皇が崩御されて十数年、ロシアの監督により初めてスクリーンに昭和天皇は写される。ソクーロフはこれまで権力者を題材としてきた。今回の「昭和天皇」という題材は権力者でありながら、人格者でもあったと彼は語る。察するにマッカーサーの日記が下地にあるのではないだろうか。例の「会見」も映画で描かれるという。現代史において重要な役割を果たした「昭和天皇」は、いまここから歴史上の人物になりつつある。

●昭和天皇は生まれながらの「神聖で侵すべからず」な存在であった。大正年間より、摂政として父帝に代わり国権を統帥する。2・26事件では近衛兵を自ら動かそうともした。WWUにおいては、ヒトラー、ムッソリーニと「悪の枢軸」を形成する。昭和20年8月15日「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」。戦後の人間宣言。東京裁判による免責。ヒューマニストへの転換。

●ワタシが幼い頃、TVで目にした昭和天皇は「優しそうなおじいちゃん」であった。ワタシは、ばあちゃん子であったため、「天皇陛下」という呼称を当然にうけとめられる。幼い頃は、ばあちゃんと一緒に寝ていた。寝室には明治・大正・昭和の三帝の御影が飾ってある。小学校に入り、日本の歴史を習う。なぜ、先生たちは天皇陛下の「昔の時代」を悪し様に言うのだろう?今生きていて、TVにもよく出てくる人なのに・・・。戦争が悪いのは分かるけど・・・。

●そんな昭和天皇もようやく歴史上の人物になり始めた。昭和天皇については、賛成意見・反対意見が多くあるのは当然のことである。しかし、政治イデオロギーを別にしても、かのお方ほど波乱万丈な生涯を送った人はあまりいない。「天子・現人神」として生を受け、「人間・生物学者、そして日本国のシンボル」として亡くなった、Mr.ヒロヒト。かのお方こそが歴史的にも本質的にも「最後の皇帝」であり、これからも人々の関心の的になりうるべき存在であると、ワタシは確信する。

●な〜んて、いろいろ論説を垂れたけれども、「太陽」がおもしろそうだなっと期待している、それだけなのだ。ようやく昭和天皇に迫る作品が出たな、と。日本国内での上映予定は未定とのことであるが、何らかのカタチで我々の目に触れることにはなるだろう。「ラストエンペラー」を観るような感じでいこう。歴史上の人物を描いた歴史映画。好き嫌いは、分かれるだろうよ、そりゃ。うーむ、いつかは昭和天皇の一生を描く巨大作品を見てみたい。大河ドラマとかでもやってほしい。予告で「次回、宮中某重大事件!」とか、「次回、降雪の2月26日!」とか、「次回、ラジオマイクに挑むミカド!」とか。

軽い感じで観にいこうぜぃ。映画なんだから。
posted by ゲルト at 01:37| Comment(2) | TrackBack(1) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月16日

世界最大のパズル

ドレスデンフラウエン教会再建のNHKのドキュメンタリーを視聴する。去年外観の復元が完成したことによる中間報告的ものだ。

●かつてのザクセン王国の首都ドレスデンは「エルベ河畔のフィレンツェ」と称されたほど、優美な都市であった。しかし、ザクセン王国は消滅し、ドイツは第三帝政(ナチ)の時代になる。フラウエン教会(聖母教会)を含むドレスデンの歴史的建造物は、1945年2月13日の米英軍のじゅうたん爆撃によって徹底的に破壊された。終戦後、社会主義体制のドイツ民主共和国において復興は進み、ゼンパーオーパー(ザクセン州立歌劇場)は1985年に40年ぶりに再開場した。しかし、フラウエン教会のみはガレキのまま残され、ドレスデン爆撃の被害を表現する手段として残されたままであったのである。そう、ヒロシマのドームのように。

●90年代、ドイツ民主共和国は「民主化」され、ドイツ連邦共和国に編入される。人々の考えも変化してきた。フラウエン教会を再建することにしたのである。再建するにあたり、彼らドレスデン市民には信念があった。残されたガレキを使って再建しようというのである。残されたガレキをナンバリングし、CGにてどこに配置すべきかを探してゆく。もちろんもう使えないガレキもある。ならば、同じ材質、同じ工法にて再現しようというのだ。そして昨年、タワーのてっぺんの十字架が再現され、フラウエン教会の外観が復元されたのである。NHKの番組の趣旨は、教会は欧州和解のシンボルということであった。復元費用の半分以上は寄付である。かつて空爆をしたイギリスの国王や市民、ナチの被害を受けたポーランド市民の協力があったということだ。

●ワタシは、かの地を2度訪れたことがあるのだが、再建が進んでいるのは感じ取れた。2006年の完成予定というので次に訪問するときは中に入ることも可能なのだろう。待ち遠しい。

●このようなこだわりをもって復元されたのは、フラウエン教会だけではない。前述したゼンパーオーパーも緻密に再建された。再建には設計者ゼンパーの息子も携わった。以下はドレスデンシュターツカペレの首席指揮者であった若杉弘氏のインタビューで知った話である。再建内覧会のとき、ある老婆が大理石でできた柱の色が当時と違うと申し出た。こげ茶色ではなくグリーンが正しいというのだ。再調査した結果、空爆で焼けてしまいこげてしまった大理石の色を「忠実に」復元してしまったことが明らかになる。すぐさま、グリーンの大理石に置換したという。再建開場後、R・シュトラウスの「エレクトラ」において、オケがピットに収まりきらないことが判明した(巨大編成なのである)。当時を知る老人の証言が出てくる。「エレクトラのときはアリーナの前の何列かが外れてピットになったはずだ」。数ヶ月の間、歌劇場を閉鎖して工事し直したという。

●そのせいかどうかは知らないが、ゼンパーオーパーの音響はすばらしく良い。とはいえワタシは欧州の歌劇場は3箇所ほどしか知らない。ましてや、天井桟敷においてでしか聴いていないので、一般的な鑑賞にあてはまるかどうかはわからない。ベルリンのリンデンオーパーやドイチェオーパーよりも、ミュンヘンのシュターツオーパーよりも響きはよかった。オケの音の柱がドカンドカンと飛んでくる印象があった。ワタシはオペラを管弦楽作品として聴くので、ウタの音響具合については覚えていない。ただ、オケは良い音で聴こえた。

●あぁ、またドレスデンに行きたい・・・。ラファエロが観たい。ゼンパーオーパーに行きたい。フラウエン教会近くのカフェでビールを飲みながらぼんやりしたい。
posted by ゲルト at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月12日

少女漫画ちっく?

きれい&エロい。「ミュシャ展」を上野の東京都美術館で観てきた。

●断っておくと、ワタシは絵画のことはまったくわからない人間である。ただ、世紀末芸術にはなにか心惹かれるモノがある。クリムトやピアズリーの絵が好きだ。音楽でいうとマーラーの時代である。マーラーも退廃した雰囲気がある。世紀末芸術の一派にくくられるのであろう(よく知らない)。ミュシャも今日見に行くまで名前も知らなかった。「ミュシャ展」のポスターを見て世紀末っぽくておもしろそうだからいってみたのだが、大変満足できる内容であった。

●ミュシャは19世紀後半から20世紀前半にかけての画家・装飾家である。チェコに生まれ、パリやアメリカで活躍し、晩年は祖国に戻った。パリにて「ジスモンダ」の劇場ポスターで成功をおさめ世間からの注目をあびたそうだ。いまでいうとグラフィックデザイナーか。ジスモンダはこれ。



●この作品に限らないが、ミュシャの描く女性はたまらなく耽美である。ほんのりとした色調がなんともいえないエロスを出している。極彩色なウォーホールのモンローとは大違い(当たり前だ)。けして健康的ではない、優しく、もの悲しい肌色をしている。体のラインもつい指を走らせたくなるほどきれいだ。どちらかというと暗く陰鬱としているが、暗すぎない。なんというのかなあ。「耽美的」っていうんだろうなあ。



●上の絵は「黄道十二宮」。なんとなくマンガちっく。ファイナルファンタジーって感じ。彼のデザイン画やポスター画はフチどりがなされているためマンガのように見えるのだろう。それに窓のような枠組みと、こまやかな装飾が美しい。女性を真横から描くスタイル。絵としての全体的な印象は窓枠と横向き美女による大胆なデザインバランスが強力であるが、よく見ると細部に施された装飾の緻密さもゾクゾクくる。この様式はのちのデザイナー達に大きな影響を与えているのだろう。



●ワタシが一番気に入った絵はこれ。「百合の聖母」。これはデザイン画ではない。世紀末っぽくはなく、有名な作品群とずいぶん作風が違う。しかし、妙に気に入った。大変気に入った。理由は良く分からない。実物を目にすると下にいる少女はかなり色の濃度がまわりよりも高くなっていて、目に入ってくる。それでも、全体のバランスはよく統制されている。上にいるマドンナと少女の対比。お花がきれい。このように気に入った絵は長い間眺めていたくなる。十分くらいは見ていただろうか。美術品泥棒したくなる気も分かってくるもんだ。まぁ、泥棒することはできなかったので、出口のグッズショップで百合の聖母ポスターを買って帰ることにする。あとでネットで調べて分かったのだが、相当有名な絵のようだ。それにしても素敵な絵であった。つきなみな表現であるが、感動した。

●そのほか好きだったのは、サラ・ベルナールのポスター群。文字と絵のバランスがきれい。タバコ会社のポスターやモエ・エ・シャンドン(クイーンの歌に出てくるね)のポスターも気に入った。パステル画や油絵画にはピンとくるものはあまりなかったが、デザイン画にはグッとくるものが多く、これで1300円はかなり安い。個人的には5000円以上支払うぐらいの価値があったと感じた。

●プラハにはミュシャ美術館があるらしい。ワタシはプラハを訪れた事はあるのだが、思いつきで出かけてしまったため、ガイドブックも持たないぶらり旅だったのだ。こんな素晴らしい絵画が見られるところがあるなんて!知っていれば行っていたのに、、、後悔。

●「ミュシャ展」オフィシャルサイトは、こちら
posted by ゲルト at 17:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月04日

被告人、前へ。

プーという身分を生かした平日の東京旅行をしてきたのであるが、平日しかできないことをやってやろうと企んでいて、いくつか実行してきた。その1つ。東京地方裁判所にて裁判を傍聴するということだ。

●裁判所を訪れるとその日の裁判予定が冊子にして置いてあり、みなそれを閲覧して法廷に足を運ぶ。ワタシは興味本位に重大事件や人の命を奪ったような事件がないか、探してしまった。関係者からみた場合、複雑な心境だろう。どこの馬の骨か分からないような人間が身内の事件を聞きに来る。それを拒むことは出来ないのだ。裁判は公開である。しかし、興味だけで傍聴するのは権利の濫用ではないのかとも思いながら、法廷に足を運んだ。

●その日、ワタシが傍聴した裁判は2つ。1つは強姦罪。1つは傷害致死罪。前者は、結審。被害者(被告の交際相手の女性、内縁の妻に近い存在らしい)が寛大な処置を望んでいる旨が弁護人より通知された。検察官は懲役刑を求刑したが、おそらく執行猶予付になるのであろう。後者も結審。暴行罪か傷害致死罪かをめぐって、論戦もあった。被告(元右翼、元暴力団関係者、前科4犯)は被害者(現役暴力団員)をボコボコにした。被害者は被告からの暴行から逃れようとし、車道に飛び出したところを車に轢かれ、死亡した。この事件は繁華街で起こったものらしく、ビデオに犯行が記録されていた。車道に飛び出した被害者に向けて差し出された被告の手が、焦点となった。弁護人は手は反射的に出されたものであり、その時点で被告に暴行の意思は無かったといい暴行罪を主張した。検察官は被告の手はなおも被害者を痛めつけようとしているものであるとして傷害致死罪を主張した。弁護人はもうだめだという表情を見せ、反論も乏しかった。被告は実刑判決を受けることになるのだろう。

●裁判を傍聴して思ったのだが、法廷はプロの職場である。裁判官・検察官・弁護人というプロがいて、記者というプロが見守る。被告人も「玄人さん」の場合も多い(後者のように)。そこにまぎれこんだワタシのような人間はただただ見守るばかり。インプレッションは受けても、深淵まではわからない。道化である。

●しかし、裁判の傍聴は我々の権利である。興味本位に傍聴するのは、権利の濫用かもしれない。が、裁判というプロの職場を見学することは、この社会を生きる上で何か自分への肉付けになるかもしれない。機会があるのなら、ぜひ体験しておくべきもののようにワタシは「感じた」。

●東京地裁のサイトはこちら。福井地裁はこちら
posted by ゲルト at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月21日

ビッグ・エッグって呼んでる人いる?

フルキャストスタジアム宮城
現宮城県営球場。東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地の名称である。
球団名ともども、ずいぶん長い名前だ。

●西武ライオンズの2軍の命名権がインボイスに譲渡されたが、
西武ドームの名称も変えてしまうようである。
こちらは中途半端で「インボイス西武ドーム」。
西武ファンとしてはなんか悲しい。「西武」というプライドを無理やり残したのがつらい。
大リーグのアストロズぐらい思い切ってやらなきゃ→ミニッツメイドパーク。果樹園かあ。

●ネーミングライツにも結構なれてきたようだ。
最初「味の素スタジアム」と聞いたときにゃ、大丈夫なのかと思ったもんだが、
フツーに会話の中で「味スタ」「味スタ」と連呼してます。
味スタのすごいところは第2グラウンドの命名権も売ったところである。
その名も「アミノバイタルフィールド」(笑)。バカっぽくてカッコイイ。最強なり。
サテライトの試合やJFLの試合が開催されるのだが、
日程表に「アミノ」と略されているのが、なんともほほえましい。

●そういや今年から横浜国際総合競技場も「ニッサンスタジアム」に変わるんだよね。
略称は「ニッスタ」か?いいにくいぞ。
「横国」と呼ばれてきた日本サッカーの2つ目の聖地も、資本主義に侵略されてしまう。
ま、あそこはあまり魅力的な競技場ではないんだけどね。
W杯決勝という祝福によって聖地認定された(ワタシの中で)。
しかし、トヨタカップが継続した場合はどうするつもりだったんだろうか?
「今日は第○回トヨタカップをここニッサンスタジアムからお届けします。
 解説は元日本代表ホンダさん、実況はスズキです。」

●こちらは古くから聖地である国立競技場であるが、
「高円宮記念霞ヶ丘競技場」と変更してはいかがだろうか?
W杯誘致の功労者でもある故人の名を、後世に残すためにも。
なんでも外国にならえばいいわけではないが、
功績のあった人物の名を冠したスタジアムやホールは、かっこいい気がする。
「旭川スタルヒン球場」とか「タケミツメモリアル」とか萌えませんか?
そういや国立競技場のお隣りは「秩父宮記念ラグビー場」である。

●「松山坊ちゃんスタジアム」を考案した人と、命名した松山市は、ホントにえらい。
posted by ゲルト at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月16日

生はいいねっ

オーケストラとサッカー観戦が最近のワタシの趣味。
以下は鑑賞・観戦する側が主体でのこと。

●この2つの娯楽であるが、本場はヨーロッパなのである。
よって日本国内で生を楽しむ場合は、日本人の手によるものを頼ることになる。
つまり、国内オーケストラやJリーグ。
しかし、正統派を自認する極右勢力はそれを異端だと否定する。
彼らにとっては日本人の手がけるものは程度が低く、
欧州にはおよばないゆえ見るほどの価値が無いというのだ。

●ワタシからしてみれば、彼ら極右勢力は正統性を追い求めるあまり、
オケとサッカーの本質の一部を放棄してしまっているように思える。
それはライブ。
表現する側と受け取る側が、時と場所を共有する体験。
確かに国内オケやJリーグは欧州のレベルには達していないことが多い。
しかし、ライブにはメディアを通じたときには味わえない
感動できる瞬間がある。(一年に1回くらいは…、たぶん)

●ライブには手順が必要だ。
公演の場所と時間を調べる。チケットを買う。女の子を誘ってみる。ふられてがっかりする。
当日ハコに着いたら、席を探す。ちょいと軽くビール飲んだりする。
本番中催すといけないので始まる前と休憩にトイレに行く。混んでてアセる。
これらの手順がこれから始まる一期一会の体験を際立たせる。

●ぶっちゃけちゃうと、本番の内容は関係ないかもしれないと思う。
超一流のプレーではないかもしれないが、プロの技を楽しめる。
拙いプレーでも肌で感じれば、息遣いが伝わってくる。
その日は来るんじゃなかったと思っても、次こそはいいもの見るぞという意欲に変わる。
そのうち本番中に起こったミスまで楽しめるようになる。
 「おい、ここで○○にボールわたすなよ!ぜってーシュートふかすよ。見てろよ。
  …ほらー、いわんこっちゃない(笑)」
だからライブはやめられない。

●能書きたれたが、生を見に行くのは楽しいんだよね。
始まるまでウキウキ。本番中ドキドキ。終わってヘキエキ(笑)
そんな楽しいことを放棄するのはもったいないなと。
なぜこんなこと思ったかというと、
いまワタシは福井で生活しているわけで、ライブになかなかいけない。
だから、ライブにいける環境の人がうらやましいのです。

●でも、一番楽しいのはヨーロッパに遊びにいって、生で見ることだよなぁ。
posted by ゲルト at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月14日

お初にお目にかかります

はじめまして!「ゲルト」でございます。
会社を退職して公務員試験に挑んでいる、むこうみずな人間です。

●元来日記とは自分宛で十分であり、他人には伝えたくない思いも含めて書き綴るものだと考えます。ここはウェブログ。他人にお知らせしたいこと、知ってもらっても差し支えないことを書き綴っていくことになります。とかなんとかいってますが、生活にメリハリをつけるためにはやりのウェブログなるモノをやってみたいだけなんです。だって勉強ばかりの生活だとつまんないんだもん。音楽やらスポーツやら、なんでもかんでも書いていくつもりです。
 
 
●来年は2006年。サッカーのW杯の年である。
ドイツかぶれのワタシとしては何が何でも現地観戦を行いたいところ。
今年の試験に合格すれば、2006年春からの採用になるのはほぼ間違いない。
ぴかぴかの「新入職員」であるが、ガツンと有給とってドイツ飛ぶつもり。
公務員サイコー! ←俺サイテー!
というか、今年の試験に受からなければ、
ちょうどW杯やってるころ(6月)は試験真っ盛りの時期だ。
サッカーどころじゃあない。4年に1度の大イベントを棒に振ることになる。
次次回のW杯は南アフリカ共和国。。。遠いよ、行けないよ。勉強がんばろ。
 
●BSでN響定期が放送されていた。
デュトワ指揮でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番とペトルーシュカ。
コンチェルトの途中から見はじめたのだが、
「かる〜い、あかる〜い」演奏だったんで、最初ベートーヴェンとは気づかなかったよ。
フランス人のピアニストだったけど、まさかこんなに違うなんて。
楽聖のピアコンの中じゃ確かに明るいほうだけどね、1番は。
でも、ソリストにやにやしながら弾いてたんだよねぇ。
そんな音楽じゃないと思うんだけどなあ。
 
 
●ま、こんな感じでやってくかどうかはまだわかりませんが、ヨロシク。
posted by ゲルト at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。